福岡地方裁判所 昭和63年(ワ)1177号 判決 1995年1月20日
主文
一 被告は、原告早川一子に対し、九八〇万円及び内金八九〇万円に対する昭和六〇年一二月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告早川弘一及び原告早川弘志に対し、各二七五万円及び各内金二五〇万円に対する平成五年七月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用のうち、原告早川一子と被告との間において生じたものは、これを四分し、その三を原告早川一子の、その余を被告の負担とし、原告早川弘志及び原告早川弘一と被告との間において生じたものは、これを四分し、その三を原告早川弘志及び原告早川弘一の、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
理由
【事実及び理由】
第一 原告らの請求
被告は、原告早川一子(以下「原告一子」という。)に対し、三四八六万五八四三円及び内金三一六九万六二二一円に対する昭和六〇年一二月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告早川弘一(以下「原告弘一」という。)及び原告早川弘志(以下「原告弘志」という。)に対し、各一一四三万七九二一円及び各内金一〇三九万八一一〇円に対する平成五年七月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
第二 事案の概要
一 事案の要旨
本件は、早川匡弘(以下「匡弘」という。)が、被告の開設する松崎医院(以下「被告医院」という。)に通院して慢性肝炎の治療を受けていたところ、慢性肝炎から肝硬変へと病状が進展するうちに併発した食道静脈瘤の破裂による出血性ショックなどによって死亡したことにつき、被告には、後記注意義務を怠った責任があるとして、匡弘の遺族である原告らのうち、原告一子は不法行為に基づき、原告弘一及び原告弘志は債務不履行に基づきそれぞれ損害賠償を請求した事案である。
二 争いのない事実
1 原告一子は匡弘の妻、原告弘一及び原告弘志はいずれも匡弘の子であり、被告は、内科、循環器科等を専門として被告医院を開業する医師である。
2 匡弘は、昭和五五年一二月、福岡赤十字病院において慢性肝炎の診断を受け、同月一六日から昭和五六年三月一二日まで同病院で入院治療を受けた後も同病院において通院治療を行っていたが、通院の便宜上被告医院に転院することとし、同年六月五日、被告との間で慢性肝炎の治療を目的とする診療契約を締結した。以来、匡弘は、昭和五七年中はほぼ毎日、昭和五八年からは概ね週三回の割合で被告医院で受診し、被告から肝臓庇護剤、ビタミン剤等による慢性肝炎の治療を継続的に受けてきた。
3 匡弘は、昭和五六年六月六日(初回検査時)から昭和六〇年一〇月二六日(最終検査時)までほぼ一月に一回の割合で血液生化学検査を受けたが、その結果は、別紙のとおりであった(以下において単位は省略する。ただし、昭和五九年一二月七日の総ビリルビン値の「二・一」の記載は、乙第一号証の八の一四頁の記載から「一・一」の誤記であると認める。)。すなわち総ビリルビン値(基準値一・一以下)は、〇・八ないし二・一の範囲で増減を繰り返していた。一方、GOT値(基準値七ないし三八)は、初回検査時一一六であったものが昭和五七年二月一〇日には三二四となり、GPT値(基準値一ないし三〇)は、初回検査時八〇であったものが昭和五六年一一月七日及び同年一二月五日には一六八に達するなどいずれの検査結果とも漸次上昇して最高値を示していたが、その後は次第に減少し、最終検査時にはGOT値が七八、GPT値が二九まで低下していた。また、クンケル値(基準値二ないし一二)は、初回検査時一一であったものが次第に上昇して昭和五九年九月二一日には二六まで達したものの、最終検査時には一三まで下がり、初回検査時一〇三であったγGTP値(基準値五〇以下)は、昭和五六年八月一〇日には二〇八まで達した後は減少し、最終検査時には四六まで下がり、γグロブリン値(基準値九・〇ないし二一・〇)も昭和五六年七月四日には二〇・八であったものが徐々に増加し、昭和五九年九月二一日に三九・八まで達した後は減少して最終検査時には三二・六まで下がった。
4 匡弘は、昭和五七年二月一三日、浜の町病院において受診した際、血液生化学検査、肝シンチグラム検査、腹部超音波検査等を受け、「肝シンチ検査では肝硬変パターンで限局性肝障害はないようである。超音波検査では慢性肝疾患で軽い脾腫。肝腫瘍マーカー一一四・四で著増。経過を追うように」との検査結果が記載された同病院の医師矢野隆作成の添書を受け取り、右添書を被告に届けた。
5 被告は、昭和五九年四月二一日、匡弘に対して超音波断層撮影検査を実施した。
6 匡弘は、その後も被告医院に通院し、昭和六〇年八月には被告から肝硬変治療剤カンテックの投与を受けたこともあったが、昭和六〇年一二月一七日未明突然吐血したため、福岡市博多区内の木村外科医院に搬送されて治療を受けたものの、結局、同月二〇日肝硬変の合併症である食道静脈瘤破裂による出血性ショックのため死亡した。
三 争点
1 被告の責任
(原告らの主張)
肝硬変に罹患した患者は、門脈圧亢進症を起こして食道静脈瘤を併発し、その突発的な破裂による大量出血のために死亡する危険性が高いのであるから、慢性肝炎から肝硬変に病状が移行しつつある患者を診察する医師としては、まず、常に適切な検査を行うなどして肝硬変への移行及び食道静脈瘤の発現の有無を予見すべき注意義務を、次に、ひとたび食道静脈瘤の発現がみられた場合には、その破裂の危険性について自らないしは他の医療機関に転医させて監視を続けるべき注意義務、さらには、内視鏡的硬化療法(以下「硬化療法」という。)や手術療法などその破裂を予防する措置を自ら講じるか、自らこのような措置が講じられない場合は、患者に転医の必要性を説明した上で、このような措置をとりうる他の医療機関に転医を勧告すべき注意義務があるといわなければならない。しかるに、被告は、被告医院における血液生化学検査や浜の町病院における肝シンチグラム検査の結果からみて、昭和五七年三月ころには匡弘が慢性肝炎から肝硬変へと病状が移行しつつあったから、食道静脈瘤の発現を予見すべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、ひいては、匡弘に食道静脈瘤の発現がみられたにもかかわらず、その監視を続けるべき注意義務や硬化療法等の右措置を自ら実施するか、実施可能な医療機関への転医を勧告すべき注意義務をそれぞれ怠り、その結果匡弘を死亡するに至らしめた。
(被告の主張)
(一) 硬化療法は、匡弘が食道静脈瘤破裂により死亡した昭和六〇年当時、治療効果が明らかでなく、いわばはしりの時代というべき時期であり、また、匡弘が手術療法を受け得る全身状態であったのか疑わしく、匡弘の手術適応の有無は全く不明であるから、匡弘に対する硬化療法や手術療法を一般の開業医である被告の注意義務の内容とすることは許されないといわなければならない。
(二) 匡弘の慢性肝炎から肝硬変への移行や食道静脈瘤の発現の可能性の認識は、一般的、抽象的なものとしては存在していたが、肝硬変への具体的な移行や食道静脈瘤の具体的な発現については、匡弘自身がその検査を拒んでいたのであるから、被告には原告ら主張のような予見義務違反はないばかりでなく、匡弘は、肝硬変への移行の可能性の認識があったにもかかわらず、被告の勧めに応じることなく検査を拒んでいたのであるから、被告には原告ら主張のような監視義務違反もない。
(三) 被告は、匡弘の受診当初より毎月一回程度福岡赤十字病院や浜の町病院において検査を受けるよう勧めていたにもかかわらず、匡弘は、浜の町病院を受診してその病状が慢性肝炎から肝硬変へと移行しつつあることが判明した後も、被告の勧告を無視して食道静脈瘤に対する適切な検査や治療の機会を逸してしまったのであるから、被告には原告ら主張のような転医勧告をすべき注意義務違反はない。
(四) 仮に、匡弘に対する硬化療法や手術療法が行われたとしても、匡弘の食道静脈瘤破裂による死亡が確実に回避できたということはいえないから、原告らの主張のような硬化療法や手術療法を内容とする注意義務違反が被告にあったとしても匡弘の死を避けることができたか否か明らかでなく、右注意義務違反と匡弘の死には因果関係は存在しない。
2 損害
(原告らの主張)
(一) 匡弘の損害
(1) 逸失利益 二一五九万二四四二円
匡弘は、死亡当時五八歳で無職であったが、少なくとも九年間就労可能であり、賃金センサス昭和五八年第一巻第一産業計男子労働者旧中新高卒五五歳ないし五九歳の平均賃金年額四二三万八三〇〇円の年収が見込まれた。以上から、匡弘の逸失利益は、三割の生活費及び新ホフマン式計算法による年五分の割合による中間利息を控除して算出すると、二一五九万二四四二円である。
(2) 慰謝料 二〇〇〇万円
(3) 原告らの相続分
匡弘の被った損害のうち、原告一子が二分の一を、原告弘一及び原告弘志が各四分の一をそれぞれ相続した。
(二) 原告らの損害
(1) 原告一子の葬儀費用 九〇万円
(2) 原告一子の慰謝料 二〇〇〇万円
(3) 原告一子の弁護士費用
三一六万九六二二円
(4) 原告弘一及び原告弘志の弁護士費用 各一〇三万九八一一円
(三) よって、原告一子は、被告に対し、不法行為責任に基づき、三四八六万五八四三円及び附帯請求として内金三一六九万六二二一円(弁護士費用を除く。)に対する匡弘死亡の日の翌日である昭和六〇年一二月二一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告弘一及び原告弘志は、被告に対し、債務不履行責任に基づき、各一一四三万七九二一円及び附帯請求として各内金一〇三九万八一一〇円(弁護士費用を除く。)に対する訴状送達の翌日である平成五年七月二三日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。
(被告の主張)
原告らの主張する損害についてすべて争う。肝硬変は治癒が期待できない疾病であるから、匡弘のような肝硬変患者について六七歳まで就労可能であったということはできないことや、匡弘は昭和五七年五月に退職した後は療養に専念して就労による収入を得ていなかったことからすると、匡弘について逸失利益を認めることはできないというべきである。したがって、匡弘の被った損害は、若干の延命利益の喪失にとどまるにすぎない。
第三 争点に対する判断
一 被告の注意義務の内容について
1 《証拠略》によれば、被告の注意義務に関する知見として、次のような事実が認められる。すなわち、
(一) 昭和五六年六月当時、六か月又はそれ以上の期間持続する炎症性肝疾患である慢性肝炎に罹患した患者の一部は、自覚症状の発現や肝機能検査の悪化を反復しながら肝硬変へと移行することが認められており、肝硬変に罹患した患者は、その症状として門脈圧亢進を来たしやすく、その結果、多くの場合食道静脈瘤の発現をみるため、その破裂により死亡する割合が高く、特に肝硬変の三大死因の一つとして数えられていた。そして、肝硬変罹患の有無を確認するための検査方法としては血液生化学検査、腹腔鏡、肝生検、肝シンチグラム等の検査方法が、また、食道静脈瘤の発現を確認するための検査方法としてはバリウム造影X線検査(以下「X線検査」という。)、血管造影、内視鏡検査等の検査方法がそれぞれ確立しており、昭和五五年には、門脈圧亢進症研究会によって食道静脈瘤の内視鏡所見記載規準も作成されていた。
(二) 食道静脈瘤に対する硬化療法は、昭和五〇年代初めころから行われ始め、昭和五五年九月一五日発行の医学書である「内科学第二版」五七七頁には既に卓効を示す治療法として紹介されていた。匡弘に対する硬化療法が可能な福岡市内の病院における硬化療法の施行状況をみると、九州大学医学部付属病院第二外科では、昭和五二年ころから肝機能不良例の食道静脈瘤に対する治療法として、昭和五七年一月からは全症例を対象とする治療法として開始されたが、昭和五八年二月四日からは予防的治療法として行われ、その件数は昭和六〇年末までに九九例に上り、そのうち開業医からの紹介で行われた例が八七例であり、福岡大学病院内科第一では昭和六〇年から、同病院外科第一では昭和五八年からそれぞれ行われ、昭和六〇年末までに予防的治療法として行われた件数は三一例であって、そのうちの約半数が開業医からの紹介によって行われたものであり、その他浜の町病院では昭和六〇年五月二一日から、また、国立福岡中央病院では昭和六〇年九月から予防的治療法としてそれぞれ行われていた。予防的に硬化療法を行った場合の累積生存率は、九州大学医学部付属病院においては、一年生存率が八八・四パーセント、二年生存率が七六・四パーセント、三年生存率が六六・九パーセント、四年生存率が五九・四パーセント、五年生存率が五二・九パーセント、六年生存率が四七・二パーセント、七年生存率が四五・九パーセントであり、福岡大学病院においては、肝細胞癌非合併例につき、一年生存率が九一・九パーセント、二年生存率が八一・一パーセント、三年生存率が七一・二パーセント、四年生存率が六四・〇パーセント、五年生存率が五九・九パーセント、六年生存率が五一・二パーセント、七年生存率が四五・五パーセント、八年生存率が三〇・四パーセントであった。
(三) 食道静脈瘤に対する手術療法としては、既に食道離断術に代表される直達手術や選択的シャント手術が実施されていたところ、その手術適応の有無については、年齢は原則として七〇歳以下、臨床所見としては意識障害や著明な腹水がなく、全身衰弱が強くないこと、肝機能検査所見としては血清ビリルビン値が三・五以下などによって判断する旨の基準が示されており、手術療法の成績は、五年生存率が六七・七パーセント、一〇年生存率が五八・四パーセントである。
以上の事実が認められる。
2 ところで、被告は、昭和六〇年当時、硬化療法は、治療効果が明らかでなく、いわばはしりの時代というべき時期であったとの主張を前提に、硬化療法を被告の注意義務の内容とすることを争っている。確かに、《証拠略》によれば、昭和六〇年当時、硬化療法が一般開業医においては未だ普及の段階にあり、現在みられるような状況に至っていなかったことが認められる。しかしながら、硬化療法は、前記認定のとおり、それより以前に発行された医学書において卓効ある治療法として紹介されていたばかりでなく、福岡市内の九州大学医学部付属病院及び福岡大学病院等においては、昭和五八年ころから予防的治療法として実施され、昭和六〇年末までに一般開業医から紹介された数多くの食道静脈瘤患者に対しても実施されて来た上、福岡市内の比較的規模の大きい病院においても昭和六〇年九月ころまでには実施されはじめていたのであるから、一般開業医においても相当知られていた治療法であったというべきである。そうすると、一般開業医といえども専門家として日々研さんを積むべき立場にあるといわなければならないから、予防的治療法としての硬化療法を、福岡市内で内科や循環器科等を専門として被告医院を開業し、肝臓病患者である匡弘の診療に当たってきた被告の注意義務の内容となる治療法と認めることは当然といわなければならない。
また、被告は、手術療法に関して、匡弘の手術適応の有無は全く不明であることを理由に、手術療法を被告の注意義務の内容とすることを争っている。しかしながら、前記のとおりの匡弘の血液生化学検査の結果や後記認定のように顕著な自覚症状もなく匡弘の全身状態が概ね安定していたことに照らしてみるならば、昭和六〇年一〇月二六日に総ビリルビン値が二・一を示したことをもって直ちに手術適応の有無は全く不明であるとすることは早計であり、逆に手術適応あったものと推認するのが相当である。したがって、匡弘に対する手術療法も被告の注意義務の内容となる治療法と認めるのが相当である。
さらに、被告は、予防的に硬化療法や手術療法が行われたとしても匡弘の食道静脈瘤破裂による死亡を確実に回避できたとはいえないと主張して、本件における因果関係の有無を争っている。しかし、前記認定の硬化療法や手術療法における累積生存率や後記認定のように出血の既往がなく、終始腹水を認めず、全身状態も安定し、日々の食事にも相当注意して療養生活を送ってきたなどの匡弘の状態を考慮すると、匡弘が予防的に硬化療法や手術療法を受けたならば、相当長期にわたって生存することは可能であったと認められ、これをもって本件の因果関係を肯定するのが相当である。なるほど、匡弘の肝硬変という病状自体は不可逆的なものであるから、予防的に硬化療法や手術療法を受けたとしても、匡弘の死亡の可能性や食道静脈瘤再発の可能性は、抽象的には否定できないところであるが、他方において将来にわたる継続的かつ慎重な検査と経過観察により、右可能性を最小限にすることも容易であるということができるであろう。したがって、右抽象的な可能性でもって本件の因果関係を否定することは許されず、被告の右主張は採用の限りでない。
3 そこで、右認定の知見によれば、慢性肝炎の患者の治療に当たる医師には、慢性肝炎から肝硬変への移行の有無、さらには移行しつつあることを認識した場合にはその破裂が生命に重大な危機をもたらす食道静脈瘤の発現の有無を念頭において、検査を含む治療に当たるべき注意義務があることは明白といわなければならない。したがって、このことに前記争いのない事実及び鑑定の結果を総合すれば、本件において、被告には、前記認定の適切な検査方法により匡弘の食道静脈瘤の発現の有無を確認すべき注意義務、また、ひとたび食道静脈瘤の発現が確認された場合には、硬化療法や手術療法等の適切な治療によりその破裂を予防する措置を講ずべき注意義務、さらには、自ら右のような検査や治療の措置が講じられない場合には、匡弘にその病状及び必要な検査方法や治療方法を十分説明した上で、その措置がとりうる医療機関へ転医するよう勧告すべき注意義務があるといわなければならない。
二 被告の右注意義務違反の有無について
1 前記争いのない事実、《証拠略》によれば、次の事実が認められ(る。)《証拠判断略》。すなわち、
匡弘は、昭和五六年六月五日被告医院で受診して以来、昭和五七年中はほぼ毎日、昭和五八年からは概ね週三回の割合で被告医院で受診し、昭和六〇年一〇月二六日(最終検査時)までほぼ一月に一回の割合で血液生化学検査を受けていた。この間、被告は、慢性肝炎、右顔面麻痺の傷病名の下で主に肝臓治療薬強力ミノファーゲンCの静脈注射やタチオンなどの肝庇護剤やビタミン剤の投薬による治療や生活及び食事指導を継続的に行っていたが、治療効果を上げるために肝臓治療薬を強力ミノファーゲンCからアデラビン七号やアデラビン九号に変え、投薬方法を静脈注射から点滴に変更したり、点滴の量を増量して治療効果の増強を狙った治療も行った。しかし、前記のように、匡弘の右検査結果のGOT値やGPT値等は漸増して一向に肝機能の改善はみられないため、匡弘は、被告の指示に従って昭和五七年二月一三日浜の町病院で受診することになり、その結果、前記のとおりの内容が記載された添書が同年三月一三日ころ被告のもとに届けられ、被告は、匡弘が肝硬変になりつつあるのではないかと思った。その後、前記のとおり、匡弘の血液生化学検査結果におけるGOT値やGPT値等が低下してきていることから、被告は、匡弘の肝機能は徐々に安定してきていると考えていたが、他方で、昭和六〇年八月八日病名を肝硬変に変更し、同日、同月一七日、同月二九日及び同年九月七日の四回にわたって肝硬変治療薬カンテックを処方する一方(ただし、後にその副作用が問題となったため、右カンテックの使用は、中止された。)、最終診療日となった同年一二月一四日まで、以前と同様の点滴治療を継続した。そして、右被告医院での診療期間を通じて、匡弘自身日々の食事にも相当注意して療養生活を送っていた一方、匡弘には出血の既往がなく、腹水や特段の自覚症状は認められず、被告は、診療の都度、匡弘の診療録中の既往症、主要症状等記載欄には「Stationar(変化なし)」との記載をするのみで、被告医院で行い得るX線検査による食道静脈瘤の有無の確認や食道静脈瘤についての説明を何ら行わなかったばかりでなく、他の病院における食道静脈瘤に対する血管造影や内視鏡検査、硬化療法や手術療法などの治療方法についての説明や転医勧告は何ら行わなかった。以上の事実が認められる。
2 そこで、右認定事実、中でも、被告は、継続的に血液生化学検査を行い、その結果を見ながら、度々使用する治療薬等を変えるなどして匡弘の治療に当たってきたが、昭和五七年三月一三日ころ、被告は、肝硬変パターンがみられるなどと記載された浜の町病院の添書を受け取り、匡弘が肝硬変になりつつあるのではないかと思っていたこと、昭和六〇年八月八日には病名を肝硬変に変更して肝硬変治療薬カンテックを処方していることなどからすれば、被告は、遅くとも昭和五七年三月ころには匡弘の病状が慢性肝炎から肝硬変へと移行しつつあるとの認識を有していたものと認めるのが相当である。そうすると、右のように、被告は、匡弘の病状が肝硬変に移行しつつあるという認識を有しながら、全診療期間を通じ、被告の食道静脈瘤発現の有無やその程度を確認しようとした形跡は本件全証拠によるも全く窺われないばかりか、右認定のように、被告医院で行い得るX線検査すら行わなかった上、匡弘に対して食道静脈瘤に関する右のような説明や転医勧告等を一切行わなかったのであるから、被告が前判示の注意義務の内容にいずれも違反していたことは、余りにも明白であるといわなければならない。
3 ところで、被告は、右説明等を一切行わなかったのは匡弘の感情を慮ったものであるとか、また、X線検査を匡弘に行わなかったのは、その際に匡弘が力んで食道静脈瘤が破裂する危険があったからである旨供述する。しかし、前記のように、慢性肝炎から肝硬変に移行していた匡弘には食道静脈瘤が発現して破裂する危険があり、そうなれば、現実に匡弘がそうなったように時を措かずして死亡という重大な結果を招来することや特段の事情のない限り自己の病状について説明を受けるべき権利を患者である匡弘が有していることを考えれば、匡弘の感情を慮って右説明等をしなかったことが被告の右注意義務違反を正当化することになり得ないことは明白といわなければならない。また、X線検査の際の力みで食道静脈瘤が破裂する危険性が高くなるから、およそ匡弘のような病状にある者については右検査を避けなければならないということを認めるに足りる証拠は本件においては全く見出せないところである。したがって、右供述内容により前判示の被告の注意義務違反の存在を否定することは、到底できないことになる。
また、被告は、匡弘に対して福岡赤十字病院や浜の町病院における検査を受けるよう頻繁に指導してきたが、匡弘はこれに応じることなく検査を拒否した旨主張してその注意義務違反の存在を争い、これにそう供述をするところである。しかし、匡弘の全診療録には被告が右指導を匡弘にしたことを窺えるような記載は全くないばかりでなく、前記認定の匡弘の被告医院での受診態度からすると、被告の右供述内容はすぐには採用できない。特に、被告は、昭和五八年一一月五日匡弘に対して浜の町病院宛の添書を渡して受診を勧めたにもかかわらず、匡弘は受診しなかった旨供述する。なるほど、匡弘の診療録の同日の処方・手術・処置等欄に「添書」との記載があることが認められ、被告は、この記載を根拠とする。しかしながら、匡弘の他の診療録の記載内容をみるに、乙第一号証の四の右同欄の冒頭にはグルタチオンについて「レセプトに添え書き!!」との記載が、また、乙第一号証の五の同年一月六日の右同欄に記載されたグルタチオンの上に「添え書きせよ!!(γ-グロブリン三三%)」との記載がそれぞれ認められるとともに、乙第一号証の六の同年一一月五日の右「添書」の記載の下に「γ-グロブリン三四・九%」との記載及びグルタチオンを含む処方内容に対する矢印が記載されていることが認められる。そうすると、被告が根拠とする右記載内容は、右認定の記載場所や内容の類似性からすると、被告が処方したグルタチオンについて、レセプトにγグロブリン三四・九%を添え書きする旨を記載したものと認めるのが相当であり、これに反する被告の右供述内容は到底採用できない。仮に被告の供述するところによっても、右指導内容は、一般的にこれまで受診した病院での検査を受けるように指導したというに過ぎず、匡弘の病状に即した検査の必要性を具体的に説明したものではなく、前記認定のように食道静脈瘤に関する指示、説明は全くなされていないから、主治医的な立場で匡弘の治療に当たっていた被告の指導内容としては全く不十分なものであったといわざるを得ない。したがって、右主張は、いずれにしても被告の注意義務違反を否定するものではないといわなければならない。また、仮に匡弘が自分の病名を認識していたとしても、このことは、被告の医師としての地位にかんがみれば、右注意義務違反という結論を何ら左右するものではないと解される。
4 以上のように、被告には前判示のとおりの注意義務違反を認めることができるので、被告は、本件において不法行為責任及び債務不履行責任を負っているといわなければならない。
三 匡弘の損害
1 匡弘の逸失利益について
匡弘に死亡による逸失利益を認めるためには、匡弘に就労の蓋然性が認められなければならない。そこで、《証拠略》によれば、匡弘は、前記認定のように食道静脈瘤破裂を起こすまでに重い自覚症状が出るなど全身状態を問題視するような状況はなかった反面、昭和五七年五月に勤務先である株式会社間組を定年退職して以来何ら稼働することなく肝臓病の療養に専念していたこと、右療養には安静が不可欠であることが認められる。これらの事実に、匡弘が食道静脈瘤の治療のために硬化療法又は手術療法を受けたとしても、その生存率については前記認定のとおりであること、しかも、その予後においても右療法を繰り返し行わなければならない可能性があることを併せ考えると、匡弘に現実の就労の蓋然性を認めることは困難であると断ぜざるを得ず、他に匡弘の逸失利益を認定するに足りる証拠はない。したがって、匡弘の死亡による具体的な損害としての逸失利益は認められないとするのが相当である。
2 匡弘の慰謝料について
前記認定のとおり、被告は、匡弘に対し、食道静脈瘤の発現について何らの有効な措置をとることもなく、その破裂による死亡という重大な結果をもたらしたものであるから、医療専門家としての被告の過誤は極めて重大であるといわなければならない。もとより、前判示のとおり、被告がその注意義務を果たしたとしても、匡弘の肝硬変が不可逆的なものであり、ひいては匡弘の期待できる生存期間もおのずから限られたものにならざるを得ないことも厳然として認めざるをえないところである。しかし、被告を信頼し、その指示に従って療養に専念してきた匡弘が、被告の右のような注意義務違反により結果的にその信頼を裏切られ、病状の増悪に歯止めをかけることもできずに死期を早めたことによる精神的苦痛は甚大なものがあると評価すべきである。したがって、被告には、匡弘の被った右のような精神的損害について相応の賠償をなすべき責任が存するものといわなければならないところ、右の判示した事情に加えて、匡弘の死亡時の年齢や境遇、その他本件に顕れた一切の事情を斟酌した結果、被告が支払うべき匡弘の慰謝料は、一〇〇〇万円を下らないものと認めるのが相当である。
3 原告らの相続分
匡弘の被った右損害額一〇〇〇万円のうち、妻である原告一子はその二分の一に当たる五〇〇万円を、子である原告弘一及び原告弘志はその四分の一に当たる二五〇万円ずつをそれぞれ相続した。
四 原告らの固有の損害
1 原告一子の葬儀費用
弁論の全趣旨によれば、原告一子は、匡弘の葬儀を営み、その費用を支出したことが認められるところ、被告が負担すべき相当因果関係のある葬儀費用は、九〇万円と認めるのが相当である。
2 原告一子の慰謝料
《証拠略》によれば、原告一子は、夫である匡弘とともに一体となってその療養に腐心し、夫の病状の悪化が生じないことを願い、全力を尽くしていたことが認められるところ、被告の医療を担当する専門家としての注意義務違反によってその努力は裏切られ、心の支えであった夫を失ったのであるから、その精神的損害の大きさは容易に認められるところである。そこで、この精神的損害に対する慰謝料を算定するに、本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、三〇〇万円を下らないものと認めるのが相当である。
3 原告らの弁護士費用
本件事案の性質、事件の経過、認容額等にかんがみると、被告に負担させるべき相当因果関係ある原告らの弁護士費用は、原告一子は九〇万円、原告弘一及び原告弘志は各二五万円を下らないものと認めるのが相当である。
五 結論
以上によれば、原告一子の請求は、右損害額合計九八〇万円及び原告一子の弁護士費用を除いた内金八九〇万円に対する附帯請求を求める限度で、原告弘一及び原告弘志の請求は、右損害額合計各二七五万円及び原告弘一及び原告弘志の弁護士費用を除いた各内金二五〇万円に対する附帯請求を求める限度で、それぞれ理由があるから認容し、原告らのその余の請求は理由がないからいずれも棄却する。
(裁判長裁判官 中山弘幸 裁判官 渡辺 弘 裁判官 鈴木 博)